大阪で開催されたアートマーケット「ART OSAKA」は、うだるような暑さの中で大盛況だった。大阪でも美術マーケットがかくも盛況となる時代が到来した。富裕層の投資先として現代美術作品が着目されているのはもちろんだが、それだけではなく、株式市場同様にハードルが下がり、我々のような庶民も美術品の一つ二つでも買って飾る時代が来たのだろう。主たる支援企業の千島土地も会場を提供していて、造船所の跡地である「Creative Center Osaka」は、主会場の中之島公会堂ほど人がひしめいているわけではないが、アート作品の展示場として広々としていて、より鑑賞に堪える場だった。
大阪市住之江区北加賀屋の街一帯に、創造交流拠点をいくつも形成し、かつ様々な創造事業を展開している千島土地の事例は、地域社会を創造する企業メセナの新しいモデルの一つである。こうした活動が、本業の不動産事業にも寄与しているだけでなく、企業のステータスを上げていることが重要である。
大阪市立東洋陶磁美術館と企業メセナ
一方、マーケットのメイン会場の中之島公会堂のある中之島も、その全域での創造的都市形成で、近年着目されている。公会堂の目と鼻の先に大阪市立東洋陶磁美術館があり、新装なったので、ついでに(と言っては何だが)立ち寄った。
行ってよかった。美しい。思わずため息が出る。照明に新たな工夫がされて、油滴天目茶碗が、以前にも増して輝いて見える。もちろん飛青磁の花生もある。この二つを見るだけでも来た甲斐があるというもの。
その上に実はもう一つお目当てがある。青花辰砂蓮花文壺である。いつ見ても美しい。この蓮の花模様の壺は、浅川伯教(のりたか)が所蔵していて、柳宗悦らによる民藝運動に影響を与えたことが知られているように、多くの人を魅了してきた。ドナルド・キーンも魅了された一人で、旧古河庭園を見下ろす部屋には、この壺のコピーが飾られていた。韓国の陶工に依頼して作陶してもらったとの話だった。
オリジナルの壺の方は、最終的には安宅コレクションに入った後、この美術館にやってきた。そもそも東洋陶磁美術館が成立したのは、その安宅コレクションがあったからだ。これは、総合商社の安宅産業によって収集されたコレクションで、経営危機に陥った同社が伊藤忠商事に吸収合併される際に、住友グループの尽力で、一括して大阪市に寄贈された。油滴天目、飛青磁を含めた中国、朝鮮の陶磁器の優品を集めた膨大なコレクションが散逸せずに一括して保存、公開されることになったのである。
住友グループによる寄付金提供での一括保全には、当時の住友銀行が中心となっており、同行役員だった樋口廣太郎も関わったその経緯について、樋口自身が日経新聞の「私の履歴書」に記しており、当時の行員のお一人から、実際に壺を抱えて運んだという話を聞いたこともある。
この住友グループによる安宅コレクションの保全は、企業メセナ活動史に残る重要プロジェクトの一つとして、高く評価されるべきであろう。
一方で、安宅の方はどういうことになるだろうか。このコレクションは、企業としての安宅産業によるもので、その財源も安宅産業の予算の中から出たし、資産計上も安宅産業によってなされていた以上、これまた企業メセナ活動の先駆的事例ともいえる。しかし、これほどの世界的なコレクションを一企業が形成したその慧眼は評価すべきだとしても、経営危機から企業存続に失敗した以上、このコレクション形成を主導した創業家二代目の安宅英一の経営責任の一端が、コレクション形成と結びつけられるのを免れにくいであろう。
確かに、企業経営者としては褒められなかったかもしれない。様々なステークホルダーに損失をもたらしたに違いない。しかし、それは資本主義経済の中では、どこかで毎日発生していることの一例に過ぎない。部外者が一々関心を持っても仕方のないことだ。
部外者の関心を強く惹きつけるのは、そのコレクションである。当時の文化庁さえも、コレクションの分散、海外流失などを危惧して、異例の要望をなしたという。ここに異例というのは、最近の文化庁の態度と比較してのこと。一時急速な円安により輸入エネルギー源が高騰したため、どこの文化施設も水光熱費の極端な負担増への対応に苦慮していた。私もかかわるある文化施設は、その設置主体の自治体の補填により乗り切ることができた。一方、国立博物館が、その設置主体である国に補填を申し入れても、門前払いであったらしく、やむなくクラウド・ファンディングで対応したと報道されていた。ふむ、ふむ、そうなのか。国宝(つまり国の宝)多数を所蔵する博物館に対して、文化庁など国の冷淡な対応は、政府の愛国心とはこの程度だと示していることにならないか。そういう文化庁にも、文化的価値の高い膨大なコレクションの散逸を心配したこともあった、という意味で異例というのである。
それにしても、国は文化政策を抜本的に改革強化すべき時に来ているのではないだろうか。諸外国に比べてさえも、貧弱な文化予算しか用意せずに「文化で稼ぐ」ことはできない。かつての気概を取り戻し、実体経済にも寄与しうる文化投資に本腰を入れるべき時である。
当時の文化庁は、散逸とともに海外流失を恐れたらしい。というのも、明治維新以来、美術品の海外流失は、奔流ともいうべきもので、それでも、何とか形成されたコレクションが、戦後再び散逸した歴史があるからだ。
それが、住友グループ21社の拠出によって、大阪市に一括寄贈され、1982年には大阪市立東洋陶磁美術館として開館し、広く公開されることになったのである。これは、一私企業による美術品の私的な性格の強いコレクションが、私企業グループの経済的社会的支援によって、自治体に寄付されたことにより、公益性をもつに至った重要な事例であった。企業メセナ史に残るというのは、こうした理由によっている。
寄贈を受けた大阪市にとっては、世界的に貴重な文化資源が付与されたのだ。これは、大阪市の都市創造にとって、文楽や食文化などとともに、測り知れない大きな寄与となったはずである。
川村記念美術館の功績
話は大きく変わるが、企業による社会創造への寄与として関連があるので触れておきたい事例がある。
冒頭に紹介したアートマーケットや、草間彌生(瀬戸内海の黄色いカボチャ)や奈良美智(巨大なあおもり犬)などによって、現代美術も、あるいは国際芸術祭に登場し、あるいは公立美術館などでも普通に取り上げられ、今でこそ一般に親しまれるようになってきたが、四半世紀前には、ほとんど敬遠されていた。
それを大きく変える役割の一端を果たしてきたのが川村記念美術館である。1998年に開催された「なぜこれがアートなの展」は、同館の館蔵品も含めて、現代美術の優品をそろえて、アートの新たな時代を切り開く画期的な企画であった。川村記念美術館だけではなく、水戸芸術館、豊田市美術館の三館の協力によって企画されたこともネットワークの力を示して重要だった。
この展覧会は、海外の著名美術館のコレクションを借用して入館者数を誇るような、文化興行事業でなく、関係する美術館のノウハウを生かして、所蔵品を中心に構成して、美術館の存在価値を示す意味でも画期的であった。ようやく1990年代になって、現代美術を専門に扱う公立美術館がいくつか誕生したが、水戸芸術館のようにほとんどコレクションを持たないものや、開館時にはまだ十分なコレクションが形成されていない場合もあった。その中にあって、川村記念美術館はマーク・ロスコに代表される現代美術の重要な作品を所蔵していたので、そのコレクションを中心に画期的な企画が成立したのである。かくして、現代美術は人々の生活にとって重要な位置を占めうることが理解され、親しまれるようになってきた。
この展覧会が画期的であったもう一つの理由は、ニューヨーク近代美術館の教育プログラムを担当したアメリア・アレナスの協力を得たことで、美術館で一方通行の鑑賞をするだけではなく、「対話型の鑑賞」が導入されたことである。企業メセナ協議会の協力により、アレナスの引率で、企業メセナの担当者も実地に対話型鑑賞を体験する場となった。その後、このシステムは、公立美術館にも、また、SONPO美術館などの企業美術館にも、さらには、教育現場や国際芸術祭などを含めて広く普及していくことになる。さらに、ビジネスコミュニケーション研修などへと応用もされ、創造的ビジネスパーソンにも受け入れられるようになってきた。
DIC川村記念美術館のコレクションの中には貴重なものが多数あるが、特に注目したいのは、マーク・ロスコとジョゼフ・コーネルである。いずれも、今さら説明の要もないほど著名なものだが、それでも、何度見ても、やはりため息が出る程にも美しくも儚く、しかも同時に、倦んだ人生を勇気づける力がある。
現代美術の共通した特色が、社会のどちらかというと不都合な事実を剔抉して、社会の見え方に変更を迫る場合が多いとすると、この二人の場合は、むしろありえたかもしれない世界を現出することで、ポジティブに世界の見え方を変えてしまう場合だと言えようか。可能性としてのヴィジョンの提示である。
ジョゼフ・コーネルの作品は、よく知られているように、前面にガラス板を置き、中が見えるようにした小さな立体的額縁のような箱で、その中に、写真や本の切り抜き、いろいろの宝物がちりばめられている。既成のものを集めた、いわば編集造形である。けれども、その編集に手間と時間とをかけた得も言われぬ独創性があって、見入る者の心を慰めるのである。
マーク・ロスコの作品は、シーグラムから受注して始められ、壁画となるはずだったシリーズである。現代のアートにしては珍しく注文主があった。その注文主とアーティストの契約が、紆余曲折はあるが結果として破棄され、シーグラムの壁画とならなかった。幻の企業メセナとして終わった。そして、作家の死後、この希代の逸品のシリーズは、ロンドンのテート・モダン、ワシントンDCのフィリップス・コレクションと当館との間で分有されることとなった。
いずれも、世界的に重要な作品群である。
同館の戦略は実に見事なものだった。いくつかの現代美術の専門館は、入り口から出口まで、現代美術で埋め尽くした。しかし、入り口の敷居を下げて、中を巡るうちに、少しずつ理解が深まり、出口に到着した時には、すっかり現代美術のとりこになる、そうした周到な配置がされていた。入り口の展示室では、モネなどの近代西洋画の名品が並び、見る者は爽やかな美術館だとの印象を持つ。部屋を出て次に移ろうとすると、レンブラントまでが出迎えてくれる。しかも、その次には江戸期の日本画を中心とした部屋が控えていた。西洋も日本も、それぞれに通じ合う世界があることを知る。(昔は、長谷川等伯の「烏鷺図屏風」があったのに、それがいつの間にかなくなってはいたが、最近のニュースが伝えるところによると、思いがけぬ人の所蔵に帰しているらしい。)そうして、やがて、ジョゼフ・コーネルやマーク・ロスコを含めた現代美術の優品に出会うことになる流れだった。
文化の社会的価値を高める上で、川村記念美術館の果たした役割はまことに大きなものがある。その恩恵を受け続けてきた者として、同館とこれを運営してこられたDICには心からの敬意と感謝の意を表したい。
川村記念美術館は休館?
ところが、これだけのコレクションを誇るDIC川村美術館を閉館するとのニュースが飛び込んできた。その理由として、同社の発表した報告書(注)によると「長期的な企業価値を向上させるため」、「資本効率の改善」が必要だから、というのである。美術館運営は赤字続きでもあったという報道もなされている。したがって、「美術館運営の効率化のために」縮小するか、「美術館運営の中止の可能性も排除せず」詳細に検討するという。
いかにももっともな話に見える。しかし、この報告書と、周辺報道を見るにつけ、いくつか不思議に思う点も浮かび上がってくる。
DICは、昨年度末(2023年12月末)決算で最終損益398億円の赤字を計上した。当時の日経新聞の報道によると、本業にかかる買収に伴う特別損失が主たる原因らしい。だとすると、「グループの長期的な企業価値を向上させるため」には、第一に、本業の再構築策をこそ審議するべきではないのだろうか。ところが、同社の「価値共創委員会」は、不思議なことに、それをせずに、「初回の審議テーマとして」美術館運営を取り上げているのである。それはなぜなのか。
美術業界の専門家ならば、ただちに気づくことがある。DIC美術館事業の根幹である美術品のコレクションは、754点に上るが、その内の384点を同社が保有していると報告書にあり、その簿価が112億円だというが、そのコレクションの詳細を専門家が評価すれば、相当の含み益が見込まれるに違いない。
つまり短期的利益追求の観点からはキャッシュフローを生み出していないかもしれないが、むしろ「長期的な企業価値の向上」には多大の貢献をしているのが美術館部門である。
この経緯を考えると、「共創委員会」の助言は、本業での損失を、あたかも文化事業が要因であるかのようにすり変える論理ではないだろうかという疑問が湧いてくる。つまり、美術品への投資は、本業の損失を埋め合わせるのに、相当効果がある点に着目しているのではないか。だから美術館の縮小あるいは中止といっているのだろうか、という疑問がわくということだ。
川村記念美術館はこれまで、美術の世界を牽引する重要な役割を果たし、なおかつ、資本の原理からいっても、大きな含み益を有するコレクション形成という寄与をなしてきた。斬新な企画を立案運営し、あるいは含み益をもたらすほどのコレクション形成に的確な助言をする、歴代の秀逸の学芸員がいたこともあり、この館の価値が形成されてきたのである。したがって、資本の効率化という論理の下に、折角の公益性が高く、かつ莫大な含み益のある美術館運営を有効活用すべきで、閉鎖、ないしは縮小するなど、資本の論理から見ても、上策とは思われないが。
DICは本業の経営資源の効率化をこそ邁進すべきであって、それをやらないで、美術館事業の売却益でつじつまを合わせたとしても、未来が開けるだろうか。あれだけ社会的価値のある美術館運営をやってきたDICならばこそ、「各種印刷用インキ」などの本業のイノベーションに邁進すれば、必ずや成功するのではないだろうか。
本来、私企業であるDICの経営にかかわることを部外者が議論しても始まらないであろう。それでは、なぜここまで踏み込んで意見を言っているのか。それは、美術館を運営し、そこで所蔵品を公開するということは、優れて公益性を帯びているからである。公益性の高い事業であるゆえに、部外者にも多大の恩恵が及び、DICに敬意と感謝をしてし過ぎるということはない。本業とともに、この事業があるからこそ、社会はDICに敬意を払い、DICは社会的に企業価値を高めているのである。公益性の高い事業であるからこそ、恩恵を受けているからこそ、踏み込んで意見を具申するのである。その観点からいうと、価値共創委員会が、「長期的な企業価値を向上させるために、高次かつ広範な見地から企業の社会に対する役割を議論」したにしては、短期利益主義に陥り過ぎた、偏狭な議論と見えてしまったのである。
DICの定款には、美術に関する施設の運営も記載されており、その担当役員も任命されており、事業の重要な柱である。だからこそ、本業と美術館のかかわりについて、その必然性の説明がなされてきた。そして、美術館としての様々な斬新な企画運営によって、大きな含み益をももたらしている。したがって、「美術に関する施設の運営」こそは、長期的観点では、成功している部門なのである。
もちろん、美術館の経営は難しい。これだけ業績を上げてきた部門だが、その成功がかえって美術館経営をむずかしくしている面がある。かつては斬新であった現代美術も今や一般化した。一方的な鑑賞にとどまらない「対話型鑑賞」でさえも一般化した。一般化したのは、まさに川村記念美術館の業績の結果でもある。この時代にあって、さらなる独創性を発揮しなければならないのだ。次世代に向けて斬新な企画運営のためにも、かつての戦略を深化させるべき時ではないだろうか。
ところで、逆に、DICが美術館を縮小ないし閉館し、したがって、コレクションの一部なりとも売却するとしたら、だれにとって利益が大きいかを考えて見たい。
美術館の含み益が「効率化」されて、「企業価値向上」に寄与して、時価総額が増大した場合に、機関投資家は大きな利益確保ができるであろう。
また、その作品群の将来が不安定だということは、世界がその行方を注視しているに違いない。このコレクションを垂涎の的としてきた富裕なコレクターにとって、コレクションを拡充する上で、この上ないチャンスが到来しつつある。
このいずれの場合にも、海外の存在を排除できない。とくに、海外のコレクターが参入すれば、貴重な文化資源の流出がここでも実現してしまう。さらに、このコレクションが公開されている現状を評価すべきだろう。新たなコレクターが秘蔵してしまっては、公益性の観点から大きな損失となる。
国の出番だ
これが、DIC川村記念美術館とそのコレクションの現状である。それは他の何物にも代えがたい、すなわち、貨幣価値など問題にならないほどの、人類にとって大きな文化的かつ社会的価値を有する。冒頭に上げた東洋陶磁美術館の旧安宅コレクションに十分匹敵する。安宅コレクションは、住友グループという力強い支援のお陰で、散逸を免れて大阪市に寄贈され、保存公開されている。川村コレクションについては、DIC自らが住友グループの役割を果たしてきたが、資本の原理によって、もしそれがかなわないというのならば、資本の原理にしたがう企業に救済を求めてもそれは難しいかもしれない。
可能性が高いのは、海外のコレクターによる買収であろう。それを避ける方法があるとしたら、国による購入である。その場合には、コレクションだけではなく美術館ごと購入することが望ましい。この美しい敷地に、マーク・ロスコの部屋を持つ美術館は、総体として価値を有するのである。
豊かな社会を実現し、国の威信を高めるための絶好のチャンスが到来しているのである。
もし私が、国の文化行政を所管する大臣あるいは、政府高官であったならば、直ちに予算要求をするところだし、もし私が莫大な資産家であったらば、コレクションの公開を条件にDICと一括購入の交渉に入るであろうが、残念ながらいずれの場合でもない以上、提言をするにとどめる以外に力が及ばないのは、まことに非力を恥ずるほかない。
(注)DIC株式会社「価値共創委員会による「美術館運営」に関する助言並びにそれに対する当社取締役会の協議内容と今後の対応についての中間報告」(2024年8月27日付)