レイ・ハラカミ(本名:原神玲)の音楽は、ジャンル分けの難しい音楽であるが、強いて分類するならば「エレクトロニック・ミュージック」となるであろう。もっとも、多くのエレクトロニック・ミュージックが、ビートを強調したダンス・ミュージックに代表されるバーティカル(タテノリ)な方向性か、または、オーケストレーションを分厚くするホリゾンタルな方向性、のいずれかに展開する中にあって、ハラカミの音楽はそのどちらにも属さないところが特徴である。
また、多くの「エレクトロニック・ミュージック」のような無機的な音でもない。例えて言うならば、ふわりと中空に浮かぶ、小さな“まゆ”を手でこしらえていくような感じの音楽である。淡く、多様な色をまとう音の粒たちが、緩急をなめらかに変化させていくリズムの波間に漂っている。耳の中だけでなく、心の中で響く音たち。似た音楽はあまりないが、強いてあげるならば、ドイツのClusterが近いかもしれない。
ハラカミは、東日本大震災が発生した2011年、震災の約4カ月後の7月27日に40歳という若さで脳出血にて急逝した。ヒロシマの被爆二世であったハラカミは、東日本大震災後に、気持ちがかなり疲弊していたという。ハラカミの音楽仲間には、「震災のストレスが彼を追い込んだ」という者もいる。そして、没後10年となる2021年5月に、「ユリイカ」(2021年6月号)にて「レイ・ハラカミ」の特集が組まれた。
ハラカミは生前、矢野顕子からその音楽の才能を見込まれ、「世界遺産」との賛辞を受けていた。そして、ハラカミと矢野は2人組ユニット「yanokami」を結成しており、数枚のアルバムをリリースしている。なお、ハラカミの死後も、yanokamiの活動を終了としないことを矢野は明言している。その意味では、ハラカミはまだ生きていると言えよう。
そのyanokamiによる「owari no kisetsu」は、もともと細野晴臣の初めてのソロ・アルバム『HOSONO HOUSE』(1973年)収録の「終わりの季節」が原曲で、それをハラカミの4thアルバム『lust』(2005年)にてカバーした後、さらにyanokamiが1stアルバム(2007年)にて再度カバーした曲である。「今頃は終わりの季節 つぶやく言葉はさようなら」という歌詞が印象的であり、オリンピックの閉会式にも相応しい。
もう一曲は、ハラカミの代表作と評価の高い「Joy」。タイトル通りの、ほかに類がないような、多幸感に満ちた楽曲である。
yanokami「owari no kisetsu」
レイ・ハラカミ「Joy」
このレイ・ハラカミの音楽には、彼の音楽制作とほぼ同時代の1990~2000年代に国内外で活動したコンテンポラリーダンスカンパニーLeni-Basso(レニ・バッソ)を率いていた北村明子の変幻自在で、かつスタイリッシュな舞踊が合うのではないか。
これがまさに、芙蓉の花言葉のごとく繊細で、不朽なる音楽。
(参考サイト)
rockinon(2011年12月18日)「yanokami・矢野顕子、最新作『遠くは近い』とレイ・ハラカミへの思いを語る」<https://rockinon.com/news/detail/61617>
京都新聞(2021年3月11日)「震災後に急逝のレイ・ハラカミ、矢野顕子に明かした「被爆2世」の思い」<https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/526888>