森田童子(2018年逝去)は、1970年代半ばから1980年代半ばにかけて活動した、カーリーヘアと黒いサングラスがトレードマークの女性シンガーソングライターであった。彼女の透明感のある歌声とギターの弾き語りは、一度聞いた者に対して静かに、しかしボディブローのようなインパクトをもたらす。
森田童子の曲としては、デビュー曲の「さよなら ぼくの ともだち」(1975年)も良いし、テレビドラマ『高校教師』(1993年)の主題歌に使用されてリバイバル・ヒットした「ぼくたちの失敗」(1976年)も良いのであるが、ここでは別の2曲を紹介したい。
一曲目は、セカンド・アルバム『マザー・スカイ きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか』(1976年)に収録された「逆光線」である。この曲は、「真夏の寂しい蒼さの中で ぼくはひとり やさしく発狂する」という歌詞が印象的な、ひたすら暗い曲である。ただし、単に暗いのではなく、そこには聴く者を抱擁するような優しさも感じられる。
私は今から40年以上も前、新宿のライブハウス「ロフト」にて森田童子のライブを何度も体験した。そごて、ライブで彼女の曲を聴きながら、すすり泣いている観客が何人もいたことが強烈な印象として残っている。当時ライブハウスで泣いていた人たちはみな、森田童子の音楽の優しさに癒されていたのではないか。
森田童子 「逆光線」
オリンピック閉会式のラスト、オリンピックの聖火が納火される場面には、4枚目のアルバム『ラスト・ワルツ』(1980年)に収録された「みんな夢でありました」が相応しい。1970年の学生運動の挫折を歌った曲であり、「悲しいほどにありのままの 君とぼくがここにいる」の歌詞が心に刺さる。ただし、それだけではなく、この曲が作られた時代背景を超越して、普遍的なエレジーとして輝いているように思う。
森田童子 「みんな夢でありました」
この曲には、日本を代表する演出家であった蜷川幸雄(2016年逝去)が組成した高齢者(2021 年 4 月現在の平均年齢 81.3 歳)の演劇集団「さいたまゴールド・シアター」(2021年12月活動終了予定)が相応しいであろう。さらに、加藤種男氏の発案により、前代未聞の「大群集劇」として2016年に組成された「1万人のゴールド・シアター」が競技場の観客席に陣取り、アスリートたちに分かれを告げる。そして競技場にいる全員でカウントダウンをして、聖火が消える。数秒の暗転の後、競技場の屋根に「送り火」(CG)が「ゼロ」のかたちで輝く。
これがまさに、芙蓉の花言葉のごとく繊細で、不朽なる音楽。
(参考サイト)
Wikipedia「森田童子」
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E7%94%B0%E7%AB%A5%E5%AD%90>