小説の最終ページに「大人のための夜学校に通えますよ」というセリフが出てくる。夜間中学のことだ。戦争前後に十分な教育を受けることのできなかった人たちのための識字教育を含めた学校としてはじまった夜間中学は多様な課題を抱えながら、近年ようやく認知されるようになってきた。先日のNHKの番組「すべての子どもに学ぶ場を~ある中学校と外国人生徒の歳月~」(7月2日(木)午前0時から再放送予定)が紹介するところでは識字教育は今や外国人子弟の大きな課題にもなっており、ようやく全国的な取り組みが強化されるらしい。
本書の主題は、実のところ識字教育ではない。在日四世代の惨憺たる、しかし希望にも満ちた物語だ。その希望のひとつは、墓地の管理人が、墓参の老婦人が文字が読めないといったことに対して、夜間中学を進め、ぜひ学校に行ってもらいたいと考える、というところに象徴的に示されている。
コロナ騒ぎの中でパチンコは随分やり玉にあがった。まさに格好の標的、いや玉だった。こんな田舎にも、と思うほど全国津々浦々にパチンコ屋があり、大震災が来ようが、コロナが蔓延しようが、何をおいてもともかくパチンコというパチンコ愛好家(?)をあれほど多数抱えながら、パチンコ屋は嫌いという在日日本人(!)にこそ読んでほしい本だ。幸いにして、日本語訳が7月末に文藝春秋社から発売されるらしい。
「週刊旧書新読」は、読まれるといいと思う本を紹介しようと思って始めたシリーズだが、普通の書評とは違って、新刊ではなく出版されてから時間が経った本を紹介しようと思っている。今回の本は2017年の刊行で、それほど古くはないし、日本語訳はこれからの出版なので、珍しく「近刊書」の書評になった。ともあれ英語版ではその名もずばり“PACHINKO”(MIN JIN LEE著)である。
最近は頓に涙もろくなっている。そのせいもあるには違いないが、読みながら何度も泣いた。1910年の日韓併合以降のプサン近郊の離島の漁村から始まって、1933年以降の大阪は猪飼野、そして1962年以降の日本各地が舞台となって、1989年まで続く。在日の四世代の物語は、歴史的背景を踏まえて、登場人物がみな相当厄介な背景を持ちながら、一人一人の生き様が活写される。生き死に関わらずそれぞれの他に代えがたい人生がある。
悪意を持って、いやしばしば善意ゆえに他者を傷つける。成功の絶頂期に訪れる絶望。奈落の底に見える希望。そうした山あり谷ありの人生が複雑に絡み合い、メリハリをつけて変化していくのが圧倒的に面白い。さすがにニューヨークタイムズをはじめとして全米中で絶賛されているのも納得がいく。
読みながらしきりに金鶴永(キム・ハギョン)のことを思い出した。直接面識はなかったけれど、その作品『まなざしの壁』には強い衝撃を受けた。金鶴永といっても今となっては知る人も少ないだろうが、『凍える口』でデビューして、何度か芥川賞候補になったが、1985年にあまりにも早く自死した小説家だ。もし、生きていたら81歳になったはずだ。
本書は読むのがつらい場面もあるけれども、それでも読み通そうとしたのは、随所に許し、救済、希望が溢れているからである。
時代が変わって、必ずしも何かがよくなったわけではないけれど、金鶴永が成し遂げえなかったことをMIN JIN LEEは成し遂げた。物語の最後になってなお、登場人物の一人にJapan will never change.と言わせながらも、この日本の中でさえも希望は見出せる、とKorean American であるMIN JIN LEEは読者に伝えている。