1. 新型コロナウイルスの文化芸術への影響
新型コロナウイルス感染拡大防止のための活動自粛により、多くの文化芸術関係者がさまざまな被害を受けている。直近では、世界的なパフォーマンス集団のシルク・ドゥ・ソレイユが破産手続きの申請を発表して話題となった。日本国内においても、今後、文化関係事業者の倒産が生じるのではないかと懸念されている。
新型コロナウイルスによる文化芸術への被害または影響を日本全体で把握する調査研究は既に複数公表されている。たとえば、日本政策投資銀行は、新型コロナウイルス感染拡大によるイベント等自粛の経済的影響について、3~5月の全国での経済損失を3兆円と推計している。このうち、音楽イベント(音楽ライブ等)と文化イベント(ミュージカル、演劇等)の中止・延期数は12,705件、経済損失額は9,048億円となっている[*1]。
また、ぴあ総研では、非常事態宣言解除後も、収容人数や収容率の制限など自粛緩和は段階的であることなどから、ライブ・エンタテインメント市場の回復は緩慢なものになると想定しており、2020年の市場規模は過去最高を更新した2019年(6,295億円)から一転して、3割にも満たない水準の1,836億円に落ち込むと試算している[*2]。
その他、緊急速報的に実施された調査として、民間コンサルティングファームのケイスリー株式会社(東京都)が、4月3日から10日までの期間で芸術文化関係者を対象にアンケートを実施している。その結果、3,357件の回答が集まっており、回答者の8割以上が「収入低下、活動再開に不安」と回答している[*3]。
公益社団法人全国公立文化施設協会の「新型コロナウイルス感染拡大に伴う影響:調査 報告」(2020年3月16日)によると、全国の劇場、音楽堂等の公立文化施設(回答数:793施設)が主催する自主事業 92.3%が中止や縮小若しくは延期となっている。また、ホールや会議室等を提供する貸館事業については、ホール等主会場のキャンセル(含む閉館)ありが92.5%となっている。今後求められる支援策(複数回答)としては、自治体からの損失補填が399施設(74.6%)、今後の事業に対する国からの新たなスキームの助成が173施設(32.3%)、舞台芸術に関わるフリーランス等への支援が152施設(28.4%)となっている[*4]。
また、公益社団法人日本芸能実演家団体協議会(芸団協)が、正会員団体(演劇、音楽、舞踊及び演芸等に関わる芸術関係団体)と連携して、4月14日から19日までに実施した「新型コロナウイルス感染拡大防止によるフリーランスに対する公的支援に関する実態調査」(回答は2,905名)によると、4月の収入予想について、「50%以下」と回答したのは34%、「無収入」との回答も42%にのぼった。また、4月に入って新たな仕事の依頼が「全くない」との回答が72%にのぼっている。こうした調査結果から、フリーランスで働く俳優・声優や音楽家・演奏家、舞踊家、落語家などの実演家の収入激減による厳しい実態や、先行きに不安を覚える状況が浮き彫りとなった[*5]。
分野別の調査で重要なものをあげると、⽇本の主要な演劇系の団体が集まって結成した「緊急事態舞台芸術ネットワーク」による緊急調査では、動員規模の⼤きい16社の5⽉末までの中⽌・延期公演の被害額だけに絞っても、合計3000ステージ、約160億円の純損失となっている[*6]。
地域単位での調査も徐々に実施されつつある。たとえば、「大阪における文化芸術関係者への新型コロナウイルスの影響に関する実態調査 報告書(2020年6月16日 速報版)」によると、回答の約9割(個人89%、団体・事業所93%)で感染拡大防止のために中止・延期の影響がある、としている。また、延期・中止による収入の損失積算額(実績及び見込み)の平均額は、2~5月の実績については、個人が約62万円、団体・事業所が約528万円、6~12月の見込みについては、個人が約121万円、団体・事業所が約852万円となっている。そして、半年から1年先に困りそうなこととしては、個人では「創作発表の機会が減少すること」、団体・事業所では「観客や顧客が戻ってこないこと」の回答が多い[*7]。
また、「福岡における文化芸術関係者の新型コロナウィルスの影響に関するアンケート調査」が同地の研究者(大澤寅雄、古賀弥生、長津結一郎)によって実施されている。同調査によると、調査対象となった福岡県内で文化芸術に関わる個人および事業所(有効回答数は706件、うち個人645件、事業所61件)のほぼ全ての回答(個人92%、事業者100%)で感染拡大防止のために中止・延期の影響があった。延期・中止による収入の損失の平均額は、個人が約44万円、事業所が約632万円となっている[*8]。
そして、岡山県文化連盟では、5月6日を回答締切としてアンケート調査を実施している。そのうち、実演家団体(回答数 31)の約9割(87%)が、新型コロナウイルスの影響を受けて中⽌・延期となった主催・共催事業がある、と回答している。中⽌・延期になった主催・共催事業の予算総額は、4月から5月、そして6月以降と増加している点が特徴である[*9]。
さらに、一般社団法人沖縄県芸能関連協議会では、沖縄県内に居住または沖縄県内を拠点に活動する芸能・芸術関係者(テクニカルや制作者を含む)個人を対象とした調査を実施している。同調査によると、回答者(517件)の3月の減収額(平均)は26万円を超えており、特に30~50歳代の働き盛り世代で減収幅が大きい。こうした状態が続くと、生計が成り立たなくなる恐れがある、と報告書において指摘されている[*10]。
その他、「広島県における文化芸術関係者の新型コロナウイルスの影響に関する実態調査」が、6/25を締め切りに実施されていたほか、宮城県では「宮城県における 文化芸術関係者の新型コロナウイルスの影響に関する アンケート調査」が、6/27を締め切りに実施されており、今後も各地域における現状把握の進展が期待される。
なお、日本の博物館を対象とした調査は、7月2日現在では公表されていないようであるが、ICOM(国際博物館会議)による、COVID-19に直面した世界の博物館の状況調査が公表されている[*11]。その調査結果によると、COVID-19が流行したことによって世界中のほとんどすべての美術館が閉鎖された。そして、博物館全体の10分の1以上が永久に閉鎖される懸念があると報告されている。プラスの側面としては、ロックダウン中、 多くの博物館がデジタル活動を強化しており、回答のあった博物館の半数以上でソーシャルメディア活動が増加した。一方、特にマイナスの側面としては、フリーランスの専門家のおかれている憂慮すべき状況である。回答者の16.1%が一時解雇されたと答え、22.6%は契約を更新されていない状況である。
さて、速報的に実施された調査結果の紹介はこの程度で十分であろう。要するに、これらの調査結果から確認できるのは、次の3点である。第一に、文化芸術に関わる個人、団体および施設のほとんどにおいて、新型コロナウイルスの影響を受けて中⽌・延期となった事業があるという事実である。第二として、これらの中止・延期によって、大きな損失が発生しており、その損失は時間の経過とともに増大しているという点である。そして第三として、こうした事業の中止・延期にともなって、フリーランスの芸術家や専門家が仕事をキャンセルされ、収入が途絶しているという点である。
2. 現状の施策の評価と課題
新型コロナウイルス感染症に伴う文化芸術活動に対する各種支援のうち、文化庁による、2020年度第2次補正予算の支援策は、総額で約560億円(一部、スポーツを含む)に上る。その概要としては、フリーランス約10万人に1人最大20万円、20人以下の小規模団体には最大150万円を支給する給付金制度のほか、劇場や博物館などの感染症対策に1施設あたり最大400万円を支援することも盛り込まれている[*12]。
この文化庁による支援策の特徴を、私なりに整理すると以下の3点となる。一点目は、予算額が極めて大きいという点である。もともと文化庁の各年度予算(概ね約1,000億円)のうち、文化財保護がその約半分を占めており、その他国立文化施設関係で約3割が支出されるため、芸術文化の振興は全体の2割ほどの予算しかなかった。したがって、今般の第2次補正予算は、平年の芸術文化振興予算の2~3年分の金額に相当する規模である。また、日本の文化政策の研究において度々参照される英国の文化政策においては、コロナへの対策としてアーツ・カウンシル・イングランドが総額1億6,000万£(1£135円で換算すると216億円)の緊急助成を実施している[*13]。これと比較すると文化庁による支援は約2.5倍の規模となっている。ただし、本稿執筆中に、英国政府は、文化施設や文化団体などに対する補助金や融資で構成される総額15億7,000£(約2,100億円)にものぼる追加の包括的支援策を発表した[*14]。
二点目は、フリーランス向け(活動継続・技能向上等支援A-①)に、簡易な手続き・審査により、最大20万円まで活動費を支援する点である。ここで言う、「簡便な手続き」とは、「統括団体からの事前確認証」があれば支援を受けられることである。文化庁の施策として、フリーランスに対してこれだけの規模で直接支援をしたのはこれが初めての事例ではないだろうか。
三点目は、サーカス、大道芸、DJなど従来の文化庁事業では明示していなかった分野も対象とする点である。もちろん、これらの分野も従来から振興の対象外ではなかったのだが、今般の支援においてはわざわざ注釈で明記された。アフター・コロナの文化政策においても、これらの分野を意識したものになると期待される。
文化庁以外の省庁では、経済産業省が「コンテンツグローバル需要創出促進事業費補助金」、通称J-LODlive(ジェイロッドライブ)として、約878億円を支援する。同事業は、公演を延期・中止した主催事業者に対して、今後実施する無観客公演をはじめとするライブ公演の開催及びその収録映像を活用した動画の制作・海外配信の費用の1/2、5,000万円/件を上限として補助するものである[*15]。
また、同じ経済産業省にて、「Go To キャンペーン事業(仮称)」と題して、令和2年度補正予算額は、なんと 1兆6,794億円が計上されている。ただし、この予算額はイベント・エンターテイメント業だけではなく、観光・運輸業、飲⾷業なども対象とした総額である。同事業のうち文化イベントに関連する部分としては、チケット会社経由で、期間中のイベント・エンターテイメントのチケットを購⼊した消費者に対し、割引・クーポン等を付与(2割相当分)するというものである[*16]。
その他、今回は紹介する余裕がないが、全国の自治体において、文化への支援も個別独自に開始されている。
3. 今後の回復に向けた支援についての4つの提案
1 緊急事態での対策を平時の事業として継続
ここで、コロナの感染拡大防止に伴う緊急事態宣言下において起こったことを振り返ってみると、無観客の公演や展示、過去の上演映像、稽古風景や関係者インタビューなど、さまざまな映像がWebで配信されたことが最大の特徴であろう。
中には、夏目漱石や芥川龍之介などをはじめとする小中高の国語の教科書の文章を、SPAC(静岡県舞台芸術センター)の俳優が朗読・配信する「教科書朗読動画」という素晴らしい取り組みも誕生している[*17]。これは、「ことばと体の関係」の専門家である俳優たちが、今までの演劇活動で獲得してきた技術を演劇公演とは別のチャネルで社会に還元した事例と評価できる。
こうした緊急時におけるクリエイティブな取り組みはとても素晴らしいものであるし、高く評価したいと思う。ただし、あらためて考えてみると、こうした取り組みは、コロナ等の影響で劇場や音楽堂が閉鎖されていなくても、実は平常時においても実施していた方がベターであったことかもしれないと気づく。
たとえば、県立の文化施設について考えてみると、その大半は県庁所在地に立地している。各県において県庁所在地が行政の中心であるのみならず、経済面や文化面の機能も集積していることから、集積効果や県内各地からの移動の経済効率等に配慮するとこのような立地になるのだと考えられる。しかし、広い県内において、地理的な条件不利地域で生活する県民は、当該施設を利用するにあたり、「物理的距離」(または移動にかかる経費)というバリアが存在することとなる。一方、今般のコロナ対策として全国の文化施設でさまざまな映像配信が展開されたが、これらの映像配信においては物理的距離に象徴されるバリアはフリーとなった。
また、美術館においても、コロナの影響で閉館となった際に、展覧会の会場の様子を動画で無料公開する試みがみられた。実は展覧会の記録は、一般的に作品のカタログというかたちで残るが、展覧会そのものの様子の記録は関係者の資料としてしか残らないのが従来の実態であった。ただし、作品やその解説だけではなく、展覧会の様子自体も記録して、これをアーカイブ化することは、今後の美術館のあり方を検討する上でも意義が高いと言える。
こうしたことから、今後の公立文化施設においては、当該施設で主催する演劇や舞踊、音楽の公演や展示等の映像をあらかじめアーカイブ化しておき、平時においてもこれらの映像をWebによって配信することが望ましいと考えられる。そもそも多額の税金を投入して制作された舞台や展示であるにもかかわらず、期間の限定された会場に足を運ぶことが出来た一部の者だけが実際に鑑賞でき、期間が終わってしまうと誰も鑑賞できないという現状は、本来あるべき姿ではない。すなわち、緊急事態宣言下で実施された対策を平時においても継続することが、アフター・コロナの文化政策として肝要なこととなる。
なお、こうした映像配信の仕組みを経費面からも持続可能なものとするために、各地域における最寄りの文化会館までの交通費(往復のバス代=ワンコイン)程度で鑑賞できる有料視聴の仕組みを構築することが望ましい[*18]。
2 文化芸術団体等に対する「補助」から「委託」へ
なお、現状と今後の展開に関して、コロナウイルスのワクチンが開発されれば、期間は1~2年かかると想定されるものの、結果として「(新しい)ノーマル」に移行する、と実は比較的楽観的に私は考えている。
この場合、もし単に過去の状態を復旧することだけが目的であれば、復旧するまでの1~2年の期間、文化芸術団体が持ちこたえることができるよう、資金的な支援をすれば良いことになる。
しかし、今般のコロナとその波及により、私たち自身の意識が変容してしまい、社会の仕組みにも変革が迫られているように思われる。そして、文化芸術の分野も同様であると私は考えている。
では、アフター・コロナの文化政策とは、どのようなものになっていくべきなのであろうか。ここであらためて、従来の日本の文化政策を振り返って見たい。従来の文化政策を大づかみに概観すると、a.主に直接支援となる「文化芸術団体やアーティスト等に対する補助」、b.主に間接支援となる「(指定管理者制度等を通じた)文化施設の設置・運営」、c.その他の基盤となる支援(教育、アーカイブ等)、という3つのカテゴリーに分類することができる。
このうち、a.の補助金という仕組みは、「(当然のことながら)事業の実施」と「当該事業が料金収入だけでは赤字となる」ことを前提として実施されていた。すなわち、元来は「事業の赤字補填」という性質の支援施策であったのである。そして今般のような事態が生じて公演自体が実施できなくなると、そもそも機能しなくなってしまう施策であった。
また、従来のパフォーミング・アーツ分野の支援は、基本的に新作中心主義であった。大半の補助金において、古典芸能分野を除いて、基本的に新作または新演出でないと補助金が支給されない仕組みであった。ただし、このように新作を作り続けるという手法では、団体の経営は必然的に自転車操業となり、経営基盤はいつまで経っても脆弱なままに留まる。そして、今般のような危機が到来すると、自転車操業の中断を余儀なくされるが、いったん自転車が停止してしまうと、再びこぎ出すことは極めて困難となる。
もし、当該事業が「税金を投入しても実施すべき事業」という判断なのであれば、赤字補填または経費の半額補助等という中途半端な支援ではなく、本来は事業費全額を委託で実施すべきなのではないだろうか。
この場合、文化支援の総額がほぼ一定であるとすると、「補助」ではなく、「委託」に切り替えた場合、支援可能な対象事業の数は単純計算で従前の概ね1/2に限定されてしまうことになる。この量的限定をどのように考えるのかが一つのポイントであろう。
ところで、上述した文化庁の「令和2年度文部科学省第2次補正予算(案)」には、「文化芸術収益力強化事業」として予算50 億円が計上されているが、同事業は「文化芸術団体の収益構造の抜本的な改革を促進」するために実施される。
では、ここで明記されている「収益力強化」のためには、そもそも何をすれば良いのであろうか[*19]。理屈から考えると、「収益力強化」のために必要なことは、①入場料単価の増加、または、②有料入場者の増大、③その他の収入の確保、という選択肢となる。
このうち①について考えてみると、たしかに、芸術団体や実演家の水準や評価が上昇すれば、それに伴って公演料金単価も上昇することが多い。ただし、料金単価が上昇すると、経済的な理由で鑑賞できなくなってしまう層も増大する。税金を投入して文化を支援した結果、当該文化を享受することが出来なくなってしまうのであれば、それは課題含みの逆進的な支援ということになる。
一方、②に関してはさらに2通りの考え方がある。②-1は1回の公演規模を拡大させることである。すなわち、1回あたりの入場者が多い、たとえばアリーナ等での公演を増やせば、収益も増加することになる。ただし、これは明らかにエンターテイメントの領域である。産業振興としては全金の投入もあり得るかもしれないが、文化支援の範疇ではない。また、ブロックバスター型の展示において、入場までに数時間も並ばさられ、会場内も一カ所に立ち止まることが許されないほど混雑するという状況は、展覧会としてあるべき姿ではない。
となると、残る選択肢は、②-2として、コンテンツをロングセラーにして、のべ鑑賞者数を増やすという方法である。すなわち、公演のロングラン上演であり、その前提としてのレパートリー・システムの導入ということを意味する。
このようにレパートリーとなる水準の優れた公演の実施は教育と連動させることが望ましい。小中高等学校の児童・生徒が優れた文化芸術に触れることは、想像力や思考力、コミュニケーション能力などを養うとともに、児童・生徒の感情に力強く働きかけ、やや大げさに言うならば自分が生きている意味について考え直す契機ともなる。それは、感性教育の場そのものである。そして、このような教育と連動した公演の実施は、将来における観客層の醸成にもつながるし、また、実演団体やその構成員である芸術家やさまざまな専門職の収入の安定化にも貢献する。実際、文化庁は「文化芸術による子供育成総合事業」において、全国の小学校・中学校等において一流の文化芸術団体による実演芸術の巡回公演を行う事業を実施している[*20]。また、地方自治体においても、たとえば、前述したSPAC(静岡県舞台芸術センター)では、静岡県内の中高生を対象とした鑑賞事業を続けている[*21]。
さらに言えば、舞台関係において表現する職業に就きたいと考える大学生や院生等の専門的な教育のためには、ロングランや再演に耐えうる水準の作品の優れた舞台を安価で、または無料で見せることが極めて重要である。そこで、そのようなロングラン公演を芸術団体がリスクを負うのではなく、公立劇場等が主催者となって実施することが望まれる。
残る③に関しても検討しておきたい。たとえば、ある文化芸術団体が会員制度を構築しているとした場合、同制度は団体の収益構造を下支えする基盤として機能してきたものと推測される。しかし、もしその会員の大半が高齢者であった場合、近い将来において会員数が激減することとなり、その激減に見合う多数の若い会員を確保することが出来なければ、団体の収益基盤も損壊してしまう懸念がある。これがおそらく、活動歴の長い日本の芸術団体において生じている実態であろう。従来は収益の安定化に貢献した会員制度が、今や逆ザヤになりつつあるのである。
長くなったのでここで整理すると、アフター・コロナの文化政策としては、各芸術団体が新作を延々と自転車操業で制作し続けるのではなく、後世に残すべき、現代の名作を生み出すための政策が必要である。そのためには、上述した通り、コンテンツのレパートリー化とロングラン公演を基本とする構造に転換していくことが有効な政策と考えられる。そしてこのように優れた作品の上演を教育政策と連動させることが肝要である。換言すると、赤字補助という「フロー型/自転車操業型」の政策から、委託による「ストック型/投資型」の政策への転換が必要なのである。もちろん、全てが補助から委託に切り替わると、現在の2倍程度の予算が必要になるので、現実的には補助と委託のハイブリッドとなるであろうが、徐々に「委託」型へのシフトを進めていくことが必要である。
なお、当該支援によって実施された事業の鑑賞料金の取り扱いについては、単に事業収益として計上するのではなく、文化芸術団体と支援者(国、地方自治体等)で分配するか、または、将来の文化芸術支援のために基金としてプールしておく、等の方策が考えられる。
こうした観点から考えると、静岡県によるSPAC、新潟市によるコンテンポラリー・ダンスカンパニーNOISMは、エクセレントな創造集団を自治体が丸抱えで運営していたという点で、時代を先取りしていた、誇るべき先進事例であるとあらためて評価できる。
3 「利用料金制度」から「文化施設のベーシック・インカム」へ
今般のコロナウイルスは、実は文化政策に関する根源的な課題を浮き彫りにした。それは、文化振興の役割を担う公立文化施設の運営リスクを、最終的に誰が担うべきなのかという問題である。
近年において、文化施設を含む公共サービスの運営においては、新自由主義的な思想を背景として、運営にあたっての経営努力が発揮しやすくなるとともに、結果として会計事務の効率化、そして経費の削減を目的とした制度が導入された。それが、指定管理者(および利用料金制度)であり、独立行政法人であり、PFI/PPP(Public Private Partnership)であった。しかし、こうした新自由主義的なシステムが文化振興に本当に貢献したのかどうかを、今こそ再考すべきである。
上述したうち、「利用料金制度」とは、公の施設の利用に関わる料金を指定管理者が自らの収入として収受する制度のことである。指定管理者は、施設の利用料金を自らの収入にできるため、管理受託者の自主的な経営努力を発揮するためのインセンティブとして「利用料金制度」は機能することとなる。この「利用料金制度」の導入には、あわよくば、設置者の負担をより軽減して、自立的な経営を誘導しようという意図が透けて見える。さらに、指定管理者を公募する場合には、複数の事業者間での競争原理を働かせることにより、より一層の収入増加と経費縮減が図られることとなり、「利用料金制度」は新自由主義のツールとして効果的に機能する。
この「利用料金制度」に代表される新自由主義に基づく制度は、基本的にプラスの側面しか見ていない。すなわち、今般のコロナような「マイナス」の事態が生じた場合には、「利用料金制度」はまったく機能しなくなる。そして、利用料金が収入として確保できずに、文化施設としての経営が困難となった場合、公立文化施設はどうすればよいのであろうか。民間の商業施設と同様に閉鎖してしまえば良いのかというと、それは違うということになる。
そもそも、公共であろうと民間であろうと、どのような事業者が運営したとしても、「運営リスク」を完全に解消したりコントロールしたりすることは理論的にも不可能である。特に指定管理者制度において、当該事業者の主たる収入源を施設来館者の入場料や利用料とする場合には、このリスクは極めて大きいものとなる懸念がある。このことは単に指定管理者制度における利用料金制度だけではなく、PFI事業や独立行政法人にも指摘できることである。要するに、これらの新自由主義的な制度とは、端的に表現すると設置者である「公共」から他の主体に、運営リスクを一方的に移転する制度であったと言える。
そして前述した通り、公募を通じて指定管理者やPFI事業者を選定する場合において、施設の設置者側がよりVFM(経費等の削減額)の多い民間事業者を選定しようとすればするほど、事業者が提案する計画上は多くの利用料金を期待できるブロックパスター的な事業が列記され、バラ色の計画案が誘導されることとなる。
しかし、こうした計画における見かけの採算性の向上は、計画上の採算が良くなればなるほど、同時にまるでパラドックスのように「需要(運営)リスク」を高めてしまうという、「需要リスク移転のパラドックス」が生じてしまうのである[*22]。結局のところ、公共施設の需要リスクは結局のところ民間セクターに移転できないのである。
人口規模や経済活動が右肩上がりで増大する時代には、こうした拡大成長を前提とした社会システムが合理的な側面もあったと考えられる。しかし、今後、もはや右肩上がりの神話が通用しない、人口も経済も全てが縮小均衡となっていく時代においては、適正均衡を前提とした社会システムが必要となる。アフター・コロナの文化政策は、新自由主義的な思想と決別すべなのである。今般のコロナ禍は、そのために私たちに課された予行演習であったのかもしれない。
そして、こうした考察から理解できることは、これからの文化財団および文化施設の運営にあたっては、安定的な運営と事業実施のための「ベーシック・インカム」が必要であるということである。
そのうえで、公立の文化施設(劇場・音楽堂、美術館等)が本来果たすべき役割を再検討する必要がある。従来、日本の公立文化施設は文化イベントの実施に関してとても熱心に取り組んできた。しかし、文化の振興に関して十分な責務を果たしてきたのかと問われると、まったく十分とは言えない状況にある。
これからの公立文化施設に関しては、文化イベントの実施場所としての機能だけでなく、文化の振興により貢献する機関(インスティテュート)としての役割が強く期待される。たとえば、公立文化施設において、(複数の)レジデント芸術団(劇団、楽団等)を設定し、複数年にわたって上演活動は当然のこととして、創作活動や経常的な活動も支援することも考えられる。
4 民間資金を活用した美術作品の購入と「見せる収蔵庫」の整備
ここまでは、どちらかというとパフォーミング・アーツを中心に検討してきたが、最後に美術分野の政策についても触れておきたい。
コロナの美術分野への影響に関しては、一般社団法人芸術と創造が、日本のアート産業に関する市場規模と新型コロナウイルス感染拡大を受けた損害を推計(6月25日時点)しており、それによると「総額556億円」となっている[*23]。
また、公益財団法人小笠原敏晶記念財団が、5月10日~20日の期間、現代美術関係者を対象に緊急アンケートを実施した結果、約9割の美術関係者が、創作、研究、発表等の活動機会を失い、約7割が今後の活動計画が立てられない状況であることが判明した[*24]。
なお、パフォーミング・アーツに関しては、前述した通り、コロナによる損害とその対応に関して複数の提言がなされてきたのに対して、アート(美術)分野からの具体的な意思表明は、ほとんどなされてこなかった。
これは、パフォーミング・アーツが、公演・興行という形態で経済活動と直結しており、業界として結束するモティベーションの高い分野であったのに対して、アートは多くの個人や小規模団体によって支えられており、従来は“業界”としてまとまった活動がほとんど無かったことが理由であると考えられる。
こうした状況の中で、美術関係者が中心となって、ようやく美術に特化した緊急対策を政府に対して求めるキャンペーン「art for all」[*25]が開始されている。その要請書は、「実態に即した緊急支援を求めます」「不測時に備えた美術分野の環境整備を求めます」「国の文化芸術政策の決定プロセスへの恒常的な参加を求めます」という3つの事項から構成されている。
こうした動きを横目で睨みながら、文化庁では、主に美術分野のアーティスト個人に対して、「研修」の補助という名目で支援する施策を固めつつある。こうした施策も必要であり、ぜひ推進していただきたいが、現役のアーティストを支援する最大の施策は、何といっても作品の購入ではないか。
ただし、こうした現役作家の作品購入にあたっては、税金を投入するのではなく、別途、「ブロックチェーンを活用した新しいアートマーケットの創出」[*26]にて提言した通り、民間の資金を活用する方策を検討すべきである。そして、民間の資金で購入した作品を公立美術館で展示すれば、アーティストは収入のほかに名誉も得ることができ、さらには作品の将来価値が上昇する期待も高まる。鑑賞者は新しいアート作品に接することが出来る。美術館は経費をかけずに新しい作品の展示が可能となる、という三方良しの施策となる。このように全国の公立美術館にて寄託・展示された作品のうち、さらに評価が高まったアーティストに関しては、国立美術館にてふさわしい価格で購入できれば、国内でアーティスト支援のための新しい経済循環が構築できることになる。さらに、ブロックチェーンを導入した新しい経済循環を生成することも視野に入れて検討するとよりクリエイティブな政策なる。
ただし、このような政策を推進しようとした場合、実は美術館を巡る別の根源的な課題を露わにすることとなる。それは、日本の美術館の収蔵庫が満杯となっており、新たな作品の収蔵が困難な状況にある、という課題である。やや古い調査ではあるが、2009年の全国調査では、約半数(48.6%)の美術館が、収蔵庫の状況について「ほぼ満杯」または「収蔵庫に入りきらない」と回答している[*27]。
当然のことではあるが、収蔵庫の良好な環境が維持されてはじめて美術館の健全な運営が成立する。そこで、「収蔵庫問題」を解決するためには、新たに収蔵庫を新設または増設すれば良いということになる。ただし現実の問題として、に、例えば設置者である地方自治体に対して、新たに収蔵庫を整備するための予算を要望したとしても、優先度はかなり低くなるであろう。なぜならば、収蔵庫を数十億から百億円規模で整備したとしても、住民や来館者に対する直接的なサービスがほとんど変わらないからである。要するに、表面的なサービスの水準が変化しないのに、数十億億円もの予算が必要になるということなので、どうしても優先順位が下がってしまうのである。
実は、この「収蔵庫問題」は、日本の美術館だけでなくて、全世界の美術館の共通の課題である。そして、この問題の解消に有効と思われるのが、”Visible storage”、すなわち「見せる収蔵庫」である。この「見せる収蔵庫」とは、展示的な機能もある収蔵庫ということである。たとえば、2019年に開館したオランダのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館や、スイスのシャウラガー・ミュージアムでは、環境維持しながら収蔵庫を公開している。日本でも、宮城県立美術館が見せる収蔵庫を検討していたほか、メセナ活動の一環で「見せる収蔵庫」の取り組みが見られる。たとえば、一般財団法人おおさか創造千島財団による「MASK :MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA」は、大阪・北加賀屋の鋼材加工工場・倉庫跡を大型アート作品の収蔵庫として活用するプロジェクトである[*28]。また、寺田倉庫による「建築倉庫」は、設計者の思考プロセスを伝える重要な資料であり、同時に完成度の高い彫刻作品でもある「建築模型」に特化した展示・保管施設である[*29]。その他、フランスのパリにあるケ・ブランリ美術館は保存修復の現場も見せている。日本の美術館においても、今後は「見せる収蔵庫」を現実化していく必要がある。
以上、本論において提案した内容を含め、アフター・コロナの文化政策に関しては、従来型の政策を抜本的に変革するという観点から、今後さらなる議論の積み重ねが必要となるであろう[*30]。
註
- 1.日本政策投資銀行(2020年6月25日)「新型コロナウイルス感染拡大によるイベント等自粛の経済的影響について~3-5月の全国での経済損失3兆円と推計~」
- 2.ぴあ(2020年6月30日)
- 3.ケイスリー株式会社(2020年4月14日)
- 4.公益社団法人全国公立文化施設協会「【新型コロナウイルス感染拡大に伴う影響:調査】報告」
- 5.公益社団法人日本芸能実演家団体協議会(2020年4月19日)「新型コロナウイルス感染拡大防止によるフリーランスに対する公的支援に関する実態調査」
- 6.日経XTREND(2020年7月2日)より福井健策弁護士の推計。
- 7.一般財団法人おおさか創造千島財団
- 8.アートサポートふくおか「2020年5月11日 速報版」
- 9.公益社団法人岡山県文化連盟(2020年6月)「新型コロナウイルス感染拡大による文化芸術活動への影響に関するアンケート結果報告書」
- 10.一般社団法人沖縄県芸能関連協議会(2020年5月21日)「緊急アンケート|新型コロナウイルス感染拡大防止に向けた公演・イベント等の自粛・中止による沖縄文化・芸能活動への影響に関する調査」
- 11.ICOM(2020年5月)“Museums, museum professionals and COVID-19”
- 12.文化庁「文化芸術活動の継続支援について」
- 13.Arts Council England“Emergency Response Funds”
- 14.BBC(2020年7月7日)“Coronavirus: Emergency money for culture ‘won’t save every job”
- 15.特定非営利活動法人映像産業振興機構(VIPO)(運営事務局)
- 16.経済産業省(2020年4月)「令和2年度補正予算の事業概要(PR資料)」
- 17.SPAC「噂のSPAC俳優が教科書朗読に挑戦!〜こいつら本気だ」
- 18.本提案はいわゆる「長尾構想」にインスパイアされたものである。「長尾構想」とは、長尾真・国立国会図書館元館長による私案として発表された電子図書館構想である。国立国会図書館がデジタル資料を利用者に貸し出しを行う等の内容で、この場合の利用料は、自宅から地域の図書館に行く交通費程度に設定し、出版社や著作権者に還元する、としていた。資料:日本電子出版協会
- 19.もちろん、「収益力強化」のためには、実演家だけでなく、マネジメントのスタッフを雇用し、マネジメント体制を確立することが前提となる。ただし、本論ではその課題には触れないでおく。
- 20.文化庁「文化芸術による子供育成総合事業」
- 21.SPAC「中高生鑑賞事業」
- 22.「需要リスク移転のパラドックス」については太下(2007)「需要リスク移転のパラドックス : 王立武具博物館の失敗事例に学ぶ」参照
- 23.一般社団法人芸術と創造(2020年6月25日)「日本のアート産業に関する市場規模と新型コロナウイルス感染拡大を受けた損害推計」
- 24.公益財団法人小笠原敏晶記念財団(2020年7月)「現代美術分野への緊急助成制度に関するアンケート 結果報告書 【暫定版】」
- 25.art for all
- 26.Active Archipelago
- 27.文化庁(2009年3月)「平成20年度 日本の博物館総合調査研究報告書」
- 28.一般財団法人おおさか創造千島財団「MASK」
- 29.建築倉庫
- 30.その他として、例えば映画分野に関する新しい政策も必要と考える。ステイ・ホームの期間を通じて、映画館ではなく、自宅のモニターまたはタブレット等で映画(映像)を見るという体験が圧倒的に増加した。こうした中で、映画館の暗闇において、他者と笑いや涙を共有しながら映画を見るという慣習が、だんだんと薄れて行ってしまう懸念がある。そこで、学校などにおいて、映画館または体育館等に設置する大スクリーンにて映画を鑑賞するという体験を政策として実現することが必要かもしれない。