1.日本における俳句
俳句は、五・七・五の韻律から成る日本語の定型詩で、世界最短の定型詩とされる[i]。日本における現在の俳句人口は、600万人とも700万人ともいわれている[ii]。また、2005年時点には全国の俳句結社の数は800~1,000団体と推定されており、生成消滅を繰り返しながらも増加傾向にあるとされている[iii]。
なお、日本における日刊の新聞紙の発行部数は2008年で6,729万部、成人人口一人当たりの部数は0.6部/人となっている[iv]。この一人あたりの部数はスイスと並んで世界で最高水準であるが、特筆すべきことは、これらのほとんどの新聞紙において「俳句」の欄が設けられていることである。
以上のデータから理解できるとおり、日本において俳句という文化的な営みは、特別な存在として定着しているのである。
2.俳句の「本歌取り」
この俳句および短歌においては、「本歌取り」という独特の表現技法がある。「本歌取り」とは、「有名な既存の俳句や短歌などから言葉を流用し、言外に本歌の内容を表現する技法」[v]のことである。
つまり、先行する優れた句(コンテンツ)を素材とした多くのサンプリングが新しいコンテンツを生み出している、と言えるのである。その意味では、俳句を「コモンズ(共有)の文学」と呼ぶこともできるのではないだろうか。
また、俳人の仁平勝は、俳句においては「ある風物が題材として繰り返し詠まれ、それが普遍的な情緒を形成していく過程には、その題材を詠んだ多くの名歌が関わって」くるため、「季語」とは「そこにいくつかの名歌が詰め込まれた、本歌取りのダイジェスト」[vi]である、としている。
そこで、本稿においてはこの「季語」に焦点を絞って、そのコモンズ的な性質について考察してみたい。
3.「季語」の歴史
季語の歴史を振り返ってみると、①和歌における「縦の題」の時代、②俳諧における「横の題」の時代、③近代以降における「新横題の時代」、という3つの時代に区分することができる[vii]。
このうち、①和歌における「縦の題」の時代は、概ね1000年頃に始まっており、「雪・月・花に代表される季節の主要な題目(これを「季の題」、のちに「季題」という)」[viii]が成立したとされている。
次の、②「横の題」の時代においては、江戸時代に俳諧が栄えたなかで、松尾芭蕉が季語の発掘を推奨したこともあり、季語が卑近な生活の素材などからも集められて著しく増大した[ix]。蕉門の俳論集と知られる『去来抄』によると、芭蕉は「季節の一つも探り出したらんは後世によき賜と也」と語ったと伝えられている。これは「季節を表す表現(季語)を一つでも探し出したら後世に良い贈り物になります」[x]という意味である。
そして、③近代以降における「新横題の時代」においては、20世紀前半に俳壇の最有力誌として隆盛を誇った俳句雑誌「ホトトギス」を舞台として、同誌の主宰であった俳人の高浜虚子が新しい季語の開拓を行った。
ちなみに、「ホトトギス」に「雑詠欄」が初めて設けられたのは1908年(明治41年)のことである。奇遇であるが、同年、「季語」という呼称を俳人の大須賀乙字が初めて使ったとされる[xi]。
この時代について俳人の西村睦子は、「課題か兼題で詠まれることが普通であった時代に、各自が自由に題を詠むことができる雑詠というスタイルを確立したことは、その後の季語の誕生と定着の土壌を作った意味で評価すべきことと思われる」[xii]、また、「客観写生して身の回りのものをどんどん詠むように呼びかけ、山のような投稿句の中から題になりそうなものをどんどん新題として採用していった」[xiii]こと、そして「作句者である誌友のニーズを最優先し、“詠みたい題、詠める題=使える題”を集めたことが結果的には季語を再編し、近代における季語の枠組みを作り、現在我々が使っている季語のベースを作り、客観写生と相俟って俳句の大衆化を一気に推し進めた」[xiv]と述べている。
このように「季語」の歴史を振り返ってみると、歴史上に2回、「俳諧」および「近代俳句」という文化的様式が繁栄し、創作のダイナミズムが隆盛したタイミングと同時に、「季語」も増大していることが理解できる。
4.「季語」はどのように誕生するのか?
では、実際の創作の現場において、「季語」はどのように誕生し、定着していったのであろうか。
前述した近代以降における「新横題の時代」の事例を見ると、句会や俳句雑誌への投句において、ある季節感を表現する言葉が「季語」として詠まれることが、はじめの一歩となっていることが理解できる。
次に、その句に対する共感やリスペクトが生まれ、その季語を元にした二次創作が行われるものと推測される。そして、それらの二次創作の中から、やがて名句と評価される俳句が誕生することとなる。名句は多くの人々に読まれ、それぞれの記憶に残っていく。
俳人の仁平勝は、「(前略)季語として定着するには、それをテーマにした名歌が生まれなければなりません」[xv]と述べている。
このようにして、オリジナルの季語の誕生から共感とリスペクトを経て、二次創作の中から名作が生まれて季語が定着し、さらなる再創造のサイクルへと進んでいくことになるのである。
なお、俳人の長谷川櫂は、季語について「文字どおり『季節の言葉』ですが、単に記号のように季節を表すだけでなく、その言葉にまつわる日本人のさまざまな思い出がその中に仕舞いこまれている言葉」[xvi]であると述べている。
換言すると、「季語」とは、二次創作することを通じて、季節感に関する特有の美意識を共有していく文化的な作法である、と定義することもできよう。
5.陶磁器や建築における「写し」
俳句における「本歌取り」または「季語」のような創造行為は、実は文化の他の分野においても見ることができる。たとえば、建築の世界においては、「写し」という手法が存在する。
建築史家の鈴木博之[xvii]は、建築の「写し」について、「『写し』がしばしば行われるのは茶室においてであるが、これは単なる複製の制作ではなく、名のある名席の精神を継承し、そこにある種の解釈を加えることすら意味する」と述べている。つまり、建築の「写し」とは、創造的な行為としてのコピーなのである。
また、同様に、陶磁器の分野においても、同じ「写し」という概念がある。
17世紀には、日本において茶道の興隆に伴って茶碗、茶入など茶陶の製造が盛んになったため、瀬戸焼、美濃焼や唐津焼の職人とその技法をベースとして高麗茶碗や中国茶器の「写し」が作られている[xviii]。
もちろん、それらの「写し」の陶磁器は、単なるコピーではなく、そこにそれぞれの陶工のオリジナリティーが加えられていった、作品としての価値ある二次創作であった。
このように、「写し」や「本歌取り」という二次的な創作の手法は、日本において様々な文化芸術分野の活動に深く根ざしているのである。
6.マンガ・アニメにおけるコモンズとしての「同人誌」
一方、現代における日本文化の代表的分野として認知されているのが、「マンガ」および「アニメーション」であり、それらは、「同人誌」および「コミケ」という文化的コモンズの中で、その独特の文化が醸成されてきた点が特徴となっている。
「同人誌」とは、同人(同好の士)が、資金を出し作成する同人雑誌の略語である[xix]。また、「コミケ」とは、東京では年に2回開催される、世界最大の同人誌即売会である「コミックマーケット」の略称である[xx]。
そして、「コミケ」においては、基本的に非営利であることを前提として、著作権者の許諾を得ない二次創作が事実上黙認されたことによって、既存の作品の二次創作物が多数、創作・流通されてきた[xxi]。
この「コミケ」は、同じ趣味を持つ人々のコミュニケーションの場となるとともに、次世代の作家を育む場ともなっている。このような巨大な文化のプラットフォームが存在するゆえに、新たな作品が次々と生み出されているのである。また、こうした二次創作は、オリジナルに対するリスペクトの表現であり、オリジナルのコンテンツの価値をより社会化することに貢献しているものと考えられる。
7.「初音ミク」と「ピアプロ」
「初音ミク」とは、北海道のIT企業クリプトン・フューチャー・メディアから発売されている音声合成・デスクトップミュージック(DTM)ソフトウェアの製品名、およびキャラクターとしての名称である。ヤマハの開発した音声合成システム「VOCALOID2」を採用したボーカル音源の1つで、メロディと歌詞を入力することで合成音声によるボーカルパートやバックコーラスを作成することができる[xxii]。
この「初音ミク」の発売によって、歌モノオリジナル曲の制作および流通が極めて容易になり、結果として「初音ミク」の持ち歌は数万曲にも達し、おそらく持ち歌の数で世界最大の歌い手となっている。
この「初音ミク」において特筆すべき事項は、消費者生成メディア(CGM:Consumer Generated Media)の場として「ピアプロ」をクリプトン・フューチャー・メディアが設置・運営していることである。
この「ピアプロ」では「初音ミク」ソフトの歌声を用いたイラスト、楽曲などの作品を投稿するとともに、非営利などの条件下で投稿された作品を会員同士で融通し合うことが出来ることが特徴である。具体的には、ピアプロに投稿された初音ミクのイラストと、自作の楽曲を組み合わせて、動画投稿サイト「ニコニコ動画」で作品を発表する、といったような活用が可能で、複数の会員同士のコラボレーションによる創作活動も行われている[xxiii]。
このような最近の日本文化の事例を紹介すると、日本における二次創作の動向は近年のことのように感じられるかもしれないが、前述した俳句における「本歌取り」や「季語」の事例からも理解できるとおり、日本においては、多くの愛好者が既存の作品に手を加えながら新しい作品をつくって発表し合う文化活動がさかんであり、それが文化的な作法ともなっている。
実は、日本の文化には、そもそもこうした二次創作の作法が内在化していたのである。
8.「クリエーザー」の登場
一方、Web2.0の本質について、評論家の梅田望夫は「ネット上の不特定多数の人々(や企業)を、受動的なサービス享受者ではなく能動的な表現者と認めて積極的に巻き込んでいくための技術や開発姿勢」[xxiv]と定義している。
このようなWeb2.0の世界において、クリエーターの絶対数が急増していくことによって、クリエーターとユーザーの明確な差異が徐々に融解していき、生産者と消費者の中間的存在である「プロシューマー」のような、クリエーター(Creator)とユーザー(User)の中間的存在、すなわち「クリエーザー(Creaser)」[xxv]が台頭する時代が到来するのではないか、と私は考えている。
もっとも、実はこうした変化を既に70年前にドイツの思想家ベンヤミン[xxvi]は「作家と公衆との間の区別は、基本的な差異ではなくなりつつある。その区別は機能的なもの、ケース・バイ・ケースで反転しうるものとなっていて、読み手はいつでも書き手に転ずることができる」と指摘していた。
9.おわりに:俳句からHaikuへ
以上のとおり、「俳句」に代表される日本文化は、一般の市民が自由に参加して容易に創造活動を楽しむことができる点、そして、参加者同士のコミュニケーションを通じて新たなコンテンツが生成されていく点が大きな特徴である。
そして、こうした寛容で自由な文化のあり方は、ポストモダンの時代に「クール」と評価される大きな理由の一つであるともに、Web2.0の世界において新たな規範となりえる価値観を提供することが期待されているのである。
その意味においては、「俳句」が“Haiku”として世界化していくにあたり、各地域の風土をだいじに考えて、それぞれの「地貌」に相応しい、新たな「季語」が創造されることが望まれる。
この「地貌」とは、『デジタル大辞泉』によると、「地表面の高低・起伏などのようす。地形。地勢」のことである。俳人の宮坂静生氏は「それぞれの地の個性をだいじに考える見方」[xxvii]と解説している。
こうしたHaikuの展開こそが、「俳句」という文化の多様性を象徴するものとなると考えている。
*本稿は、2012年9月26日 Eーとぴあかがわ(香川県)にて開催された「平成24年度国土交通省四国運輸局地方連携ビジット・ジャパン事業」(共催:四国夢中人:代表 尾崎美恵)の報告会での講演記録です。
この「平成24年度国土交通省四国運輸局地方連携ビジット・ジャパン事業」とは、インバウンドに取組む地域の連携を促し、訪問地の多様化や滞在日数の増加を図ることにより、訪日リピーター需要の拡大に対応するとともに、多様なニーズに即した誘客を実現することを目的とした一連の事業です。そして、近年、欧州でも人気を集める「HAIKU-俳句」にスポットを当て、欧州の俳人たちを「俳句の国、四国」へと招聘し、欧州俳人たちによって随時更新されるブログやインターネットサイトをはじめ、ソーシャルネットワーキングサービスも活用し、欧州俳句ネットワークを介して、俳句を通じた四国のオリジナル観光案内を行いました。
[i] フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
[ii] 現代俳句協会ホームページ(松田ひろむ『俳句入門』)
<http://www.gendaihaiku.gr.jp/nyumon/index.cgi>
[iii]『現代俳句大事典』三省堂、2005、「結社」の項
[iv] 日本新聞協会広告委員会「新聞広告データアーカイブ」
<http://www.pressnet.or.jp/adarc/data/data04/02.html>
[v] フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
[vi] 仁平勝.俳句をつくろう.講談社,2000,p.45.
[vii] 西村睦子.「正月」のない歳時記-虚子が作った近代季語の枠組み.本阿弥書店,2009,p.112..
[viii] 宮坂静生.季語の誕生.岩波新書,2009,p.ⅵ.
[ix] 山下一海.「季題」『現代俳句大事典』.P. 178-179.
[x] 去来抄(付口語訳)<http://sasa.org/library/kyorai/index.html>
[xi] 宮坂静生.季語の誕生.岩波新書,2009,p.5.
[xii] 西村睦子.「正月」のない歳時記-虚子が作った近代季語の枠組み.本阿弥書店,2009,p.31..
[xiii] 西村睦子.「正月」のない歳時記-虚子が作った近代季語の枠組み.本阿弥書店,2009,p.56..
[xiv] 西村睦子.「正月」のない歳時記-虚子が作った近代季語の枠組み.本阿弥書店,2009,p.456..
[xv] 仁平勝.俳句をつくろう.講談社,2000,p.49.
[xvi] 長谷川櫂.一億人の季語入門.角川学芸出版,2008,p.15..
[xvii] 鈴木博之.”はじめに―「復元思想の社会史」とは何を意味するのか”. 復元思想の社会史,2006,p7.
[xviii] フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「京焼」
[xix] フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
[xx] フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
[xxi] 米澤嘉博編.マンガと著作権 パロディと引用と著作権と.コミケット,2001,217p.
[xxii] フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「初音ミク」
[xxiii] フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「ピアプロ」
[xxiv] 梅田望夫.ウェブ進化論.筑摩書房,2006,p.120.
[xxv] 筆者の造語。
[xxvi] ベンヤミン.“複製芸術時代の芸術作品”.「複製芸術時代の芸術作品」精読.岩波書店,2000,p.168.
[xxvii] 宮坂静生.季語の誕生.岩波新書,2009,p.ⅳ-ⅴ.