ザ・フォーク・クルセダーズは、「世界中の民謡を紹介する」というコンセプトのもと、1960年代後半からのアマチュアとしての活動を経て、1967年にプロ・デビューしたフォーク・グループ。デビュー時のメンバーは、後に精神科医(日本精神分析学会会長)となる、きたやまおさむ、後にサディスティック・ミカ・バンドを結成する加藤和彦(2009年死去)、後に京都フォークの第一人者として活躍するはしだのりひこ(2017年死去)の3人。
1968年のデビュー曲「帰って来たヨッパライ」は、「おらはしんじまっただ」という東北弁の歌詞とテープの早回しによる独特の高いピッチの声が印象的で、デスクトップミュージックの元祖のような曲。「帰って来たヨッパライ」は、同年に開始されたオリコンで史上初のミリオンヒットとなった。この大ヒット曲に続く第二弾シングルとして発売される予定であったのが、名曲「イムジン河」である。しかし、この「イムジン河」は、レコード倫理審査会の国際親善事項に触れたとされ、発売中止になった(森2000:49)。
ザ・フォーク・クルセダーズ「イムジン河」
発売中止となった同曲の代わりに、リリースされた曲が「悲しくてやりきれない」である。加藤和彦は、「(レコード会社の)会長室に呼ばれて、「じゃあ加藤君、3時間あげるから次の曲を今作りなさい。」って言われた」と説明している。
作詞は「リンゴの唄」や「ちいさい秋みつけた」で有名なサトウハチロー。「悲しくて 悲しくて とてもやりきれない このやるせないモヤモヤを 誰かに告げようか」。この世界に対する、やり場のない、どこかぼんやりとした不安や違和感は、そのまま現在にも通じる。
2016年公開の片渕須直監督のアニメ映画「この世界の片隅に」では、コトリンゴによる同曲のカバーがオープニングに使用されている。原作はこうの史代のマンガである。マンガ原作のアニメは、原作のテイストを再現するのにせいいっぱいの作品が多い中で、本作は、アニメとして独立した表現の強靭さを内包する名作となった。そしてまた、このカバー曲も同様である。
このうつくしい曲には、黒田育世とBATIKのパフォーマンスを組み合わせてみたい。
激しさと生気の中に、祈りのようなピュアな敬虔さが感じられる黒田育世の踊りは、どこかしらこの曲と通底するような気がするのである。閉会式の「追悼の時間」に相応しいのではないか。
コトリンゴ 「悲しくてやりきれない」
これがまさに、芙蓉の花言葉のごとく繊細で、不朽なる音楽。
(参考サイト)
森達也(2000)『放送禁止歌』解放出版社.
Universal Music「ザ・フォーク・クルセダーズ」<https://www.universal-music.co.jp/the-folk-crusaders/biography/>
Musicman-NET「第71回 加藤和彦氏」
<https://web.archive.org/web/20140530130611/http://www.musicman-net.com/relay/71-2.html>