台湾の交工樂隊というグループが2001年にリリースしたセカンド・アルバム『菊花夜行軍』よりの一曲。
「樂隊」はBandのことあるが、「交工」という言葉は、 メンバーの地元である高雄市美濃(メイノン)のタバコ産業に由来しているようである。すなわち、タバコの葉の収穫と処理に必要な大量の人員のため、労働単位として作業グループが編成された。そして、タバコの葉を順次収穫していくことは、これらの労働グループを「交代する」ことになる、ということらしい。
この交工樂隊は、美濃ダムの建設反対運動を背景に結成され、1999年から2003年にかけて活動した。反対運動の結果、2000年、陳水扁総統はダムの建設中止を発表した。日本で言えば、1960年代のプロテスト・フォークのような存在であろうか。その後、バンドは、台湾の農民や農村が置かれている現実の問題に注意を向け始め、このアルバムを制作することになる。メンバーは地元の林生祥、陳冠宇、鍾成達、郭進財、鍾永豊の5名。なお、その後2003年にグループは解散した。
このアルバム『菊花夜行軍』は、都会へ出て成功できなかった若者が、結局、農村へ帰って菊を栽培するという物語である。そして、「風神125」では、そのプロローグとして、若者が125ccの古ぼけたバイクに乗って、都会から故郷へ帰るシーンが綿綿とうたわれている。たとえ、言葉(客家語とのこと)がわからなくとも、胸を締め付けられるような切なさが十分に伝わってくる。
交工樂隊のサウンドは、地元の伝統音楽(客家民謡)に基づいており、特に伝統的な楽器であるスオナ(チャルメラ)の音色が印象的である。こうした客家(ハッカ)の伝統音楽に、現代のフォークやロックを融合させて、新しい客家民謡を創造しようとしている。ちなみに、「客家」とは、中国本土と台湾で生活する民族集団の一つであり、漢族の一系統であるが独自の文化や言語をもっている点が特徴である。
翻って考えてみると、日本では1960年代から、さまざまなフォーク・ミュージックが生まれたが、地域の伝統的な音楽と融合した「地に足がついた」サウンドは何故か普及・定着することはなかった。どこの国・地域なのかわからないような根無し草のサウンドが、「J何とか」という名称で語られているのが現状である。
これがまさに、芙蓉の花言葉のごとく繊細で、不朽なる音楽。
参考サイト1:https://note.com/hykw1120/n/nbcd07d316a7b
参考サイト2:https://core.ac.uk/download/p35429091.pdf
参考サイト3:https://www.taiwan-panorama.com.tw/ja/Articles/Details?Guid=935e101b-1667-458c-9ce8-f1be2cb09939&CatId=8