このTHIS MORTAL COILは、定まったメンバーのいるバンドではない。英国のレコードレーベル4ADの創設者であるIvo Watts-Russellが、自分のお気に入りのアーティストのカバーやオリジナル曲を、ミュージシャンのラインナップをチェンジして演奏させたコラボレーションである。
4ADとは1980年代の英国ニューウェイヴの代表的なレーベルで1979年に設立、1980年にこの名称となった。4ADという符号のような名称は、「forward(前衛)」の言葉遊びで、4wArDから4ADとなったようだ。レーベル・オーナーの世界観や美意識が個々の作品にも浸透しているという点で、ジャズ分野のECMにも相通じるものがある。
さて、THIS MORTAL COILという一風変わった名称は、William Shakespeareの四大悲劇の一つ『ハムレット』の台詞からの引用である。かの有名な“To be, or not to be”に続くハムレットの台詞で語られており、私の手元にある小田島雄志訳では「この世のわずらい」と翻訳されている。
ところが、このコラムを執筆するにあたり、Wikipediaで調べてみたところ、この名称は、なんと、空飛ぶモンティ・パイソンの秀逸なコント「死んだオウムのスケッチ」で、オウムが死んでいることの表現に使われた“mortal coil”から引用されものだという。
引用元の真偽はさておき、THIS MORTAL COIL は1984年から3枚のアルバムをリリースしているが、ここでは、1986年のセカンド・アルバム「Filigree & Shadow」から“Morning Glory”を聴いていただきたい。なお、アナログLPではアルバム全体が一つの曲として流れるように構成されていたが、音楽配信ではそれが再現されておらず残念。
エコーやリバーブを多用した、夢見心地のような浮遊感のあるサウンド。優しく穏やかでありつつ、同時に憂いと翳りのあるヴォーカル。そして、美しく静謐でありながら、やがて深い哀愁が満ちてくるメロディ。“Morning Glory”を聴くと、ずっとこのまま曲が続いていくと良いのに、と思う。Ivoが目指していたのは、そんな音の麻薬だったのかもしれない。
この曲はもともと、アメリカのフォーク歌手、Tim Buckleyが1967年にリリースした。NYのグリニッチ・ヴィレッジ(Greenwich Village)のボヘミアンなカルチャーの中から生まれた名曲である。その後、1968年にLinda Ronstadtがカバーしたほか、多くのミュージシャンによって歌われており、Tim の曲の中で最も多くカバーされている曲のようである。
ちなみに、歌詞に登場するHoboとは「放浪する労働者」で、言わば「流れ者」のこと。アメリカのフォーク・ソングには「Hobo Song」というジャンルもあるくらい、Hoboについて数多くの歌が創作されている。少年時代のTimはホーボーキャンプに隣接する南カリフォルニアの小さなコミュニティに住んでいた。その思い出がこの歌となったのだろうか。
これがまさに、芙蓉の花言葉のごとく繊細で、不朽なる音楽。