1969年にリリースされたBrigitte Fontaineの3rdアルバムの表題曲で、邦題は「ラジオのように」。レーベルはサラヴァで、プロデュースはピエール・バルー。もし初めて聞くのだとしたら、それは最大の不幸にして最大の幸福ではないか。今までの人生でこの曲に出合うことのなかった不幸と、これからの人生がこの曲とともにある幸せと。
Brigitte Fontaine は1939年生まれなので、2020年5月現在ではなんと傘寿。こんな歌い方でも歌になるのかという感じの、リスナーの耳元にささやくかのようなコケティッシュで退廃的なヴォーカルで、一度聴いたら、もう耳から離れることはない。
共演としてクレジットされているのが、その後にBrigitte の公私ともにパートナーとなるパーカッション奏者のアレスキ・ベルカセム(Areski Belkacem)。彼は1970年には、ピエール・バルーが監督した映画『サヴァ・サヴィアン(Çava、çavient)』の主人公を演じ、また、ピーター・ブルックのために音楽も作曲している。実に多彩なクリエーターである。
このAreskiは、パリで生まれ育ったアルジェリア・ベルベル人である。アルジェリアは1962年の独立以後、フランス植民地支配への反動で、アラブ化・イスラム化が急速に進展したが、その過程で、ベルベル人やその文化に対する抑圧も行われた。おそらく、Areskiの両親はこれを避けるため、フランスに移住したのではないだろうか。
さて、アレスキの呪術的パーカッションととともにストイックな演奏を繰り広げているのが、前年にアメリカでデビューしたばかりのフリー・ジャズ・グループ、アート・アンサンブル・オブ・シカゴ(The Art Ensemble of Chicago)。まるで、サーカスの楽屋で即興の練習しているところをたまたま録音したかのような祝祭的な雰囲気を醸し出している。
なんでアメリカのフリー・ジャズ・グループがフランスで活動していたのか。その理由は、この前年1968年の五月革命にある。「敷石の下は砂浜だ(Sous les pavés, la plage)」という詩的なスローガンを掲げた五月革命は、若者たちが古い価値観から解き放たれる潮目となり、カウンター・カルチャーにも多大な影響をもたらした。
そして、ヨーロッパのみならず、アメリカ、そして旧植民地であったアフリカ諸国からも多数のアーティストやミュージシャンがバリに集まってきた。ちなみに、アート・アンサンブル・オブ・シカゴのメンバー達はなんと精神病院を宿泊場所としながら、パリで演奏活動をしていたとのことである。Titicut Follies !
こうしたコスモポリタンな環境の中で、個性と個性がぶつかり合って、このアルバムは生み出された。前衛でありながら抒情的で、かつポップ。ジャンル分類が無用の、真のワールド・ミュージック。おそらく全ての音楽は奇跡の賜物なのであろうが、そのことをとりわけ実感できる音楽がこの曲である。「1969年のパリ」の気運でしか生まれなかった音楽。
これがまさに、芙蓉の花言葉のごとく繊細で、不朽なる音楽。
参考サイト:https://www.redbullmusicacademy.jp/jp/magazine/the-greatest-week-in-the-history-of-avant-garde-jazz